書いてたかと思ったらそんな事はなかったぜ。56話です。
今回は収録の感想はそこそこにして、蒋欽に対するフォローを多めにいれときます。
蒋欽、字は公奕。九江郡寿春の出身です。三国志Ⅸで言うと、英雄集結においての袁術のスタート地点です。合肥城砦が近くにあるあの城ですね。
正史においては、孫策が袁術の食客をやっていた時に仕官しています。孫堅死後、次々と部下が去って行った時にあえて孫策と付き合っている事を考えると、相当気が合ったようです。特に水賊をやっていたと言う記述は無し。ひょっとしたら、最初は袁術配下の武将だったのかもしれませんね。
その後は玉璽を質に軍勢を借りた孫策に同行。現地で合流した周瑜の指揮下で、孫策の揚州平定に力を貸します。平定後は葛陽県の県尉に任官され、反乱や山越の討伐を重ねて会稽西部都尉、討越中郎将と昇進していきます。その権限は大きかったようで、賀斉(神)の山越討伐において一万人の軍勢を引き連れています。
赤壁での活躍は特に無し、合肥では張遼相手に必死に戦ったおかげで、盪寇将軍・領濡須督に栄転しました。更に右護軍にもなったそうです。この時、都での訴訟に関する仕事を任されている所を見ると、決して政治能力の無い武勇一片の将軍では無かったようです。
それを裏付けるかのようなエピソードが二つあります。
一つは、孫権が蒋欽の屋敷に遊びに行った時の話。蒋欽はそれなりに昇進しているにも関わらず、蒋欽の母も妻も質素な服装であり、孫権は蒋欽が倹約を心がけている事に感心したと言われています。
……が、このエピソードをよく見てみると、気になる事があります。蒋欽の母と妻の服装の描写ですが、『母は粗末な帳に縹の着物、妻妾は麻布の下裙であった』と書かれています。……あのさあ、それ倹約じゃなくて本当に貧乏だったんじゃね?それを裏付けるかのように、孫権はすぐに蒋欽の家族に豪華な服を送っています。一見、自分で「蒋欽さん倹約パネェっす!」と言っておきながらそれをぶち壊すKYな行動ですが、蒋欽の家の惨状を見ていられなくなったが為のフォローと考えると、意外と納得がいきます。
これだと今一頭がいいのかどうか分からないので、もう一つ。呂蒙の有名な「呉下の阿蒙にあらず」のエピソードで、孫策が呂蒙に本を読むよう勧める場面がありますが、この時さりげなく蒋欽も一緒に本を読むように勧められています。呂蒙と違ってその後頭が良くなった話は出てきませんが、孫権が「人間たる者は長ずるとともに向上してゆくものだが、呂蒙・蔣欽ほどには及ばないだろう」と蒋欽と呂蒙を並べている辺り、勉強の成果はあったようです。
蒋欽は合肥後も相変わらず賊の討伐を続けていましたが、この時とある事件が起きます。どうも部下が何かをやらかしたようで、当時の蕪湖の県令だった徐盛が蒋欽陣営の軍吏を処刑すべきと上奏しています。が、孫権は蒋欽の功績を慮ってそれを認めませんでした。そういう訳で、蒋欽と徐盛の関係は悪化します。徐盛関係に悩む蒋欽……ごめん、面白くも何ともなかった。
濡須口の戦いにおいて、蒋欽はついに呂蒙と共に総司令官の地位に立ちます。やったね蒋ちゃん、大出世だよ!この時半泣き状態になったのが、恨みを買っていたと思いこんでいる徐盛です。後ろに督戦隊を置かれてバンザイ突撃させられるか、最後尾に置かれて戦闘を眺める事すら許されないか、どんな扱いが来るか分からずgkbrしていたそうです。
ところが、蒋欽は徐盛を孫権に将軍として推します。徐盛がやらかした事は孫権も当然知っているので、あえて徐盛を評価する理由を聞いた所、蒋欽はこう答えました。
「公務たる推挙では私怨を差し挟まないもの、と臣は聞いております。徐盛は忠勤に励んで胆略と器用さを持ち、万人の総督に相応しゅうございます。いまだ大事業は完成しておりませぬゆえ、臣は人材探しをお手伝いするばかりであって、どうして私怨を差し挟んで賢者を隠したりいたしましょうぞ!」
この言葉には、孫権も徐盛も感服するしかありませんでした。この一件で蒋欽の名声はますます上がりました。演義で李典が言ってるっていうのは無しで。
その後は樊城の戦いに参加。関羽を撃破し故郷に凱旋する途中で病死します。呂蒙よりも若干速いです。その所領は子供に受け継がれたようです。
何でこんなやたら長々と蒋欽の紹介をしていたのかと言うと、今回の動画で蒋欽の扱いの悪さが際立っていたからです。味方がユフィだけとか、もうね。功績自体はヘタすると周泰よりも立派なんで、あんまり誤解して欲しくないんですよね。動画内では処断扱いでしたが、機会があれば劉度軍で復活するかもしれません。
ちなみに、有名な周泰の同僚で水賊やってたっていう話ですが、あれは演義の創作のようです。後、三国志11では弓将を持っていますが、正史・演義共に弓に関する話は全くありませんでした。ただし、蒼天航路では張遼に向かって弓を撃っています。……コーエーさん何してはるんですか。
参考文献:むじん書院 呉書『蒋欽伝』『呂蒙伝』
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