主に編集後記とか、デンパな日記とか。
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「親方さまあぁぁぁぁぁ!!」
「板垣いいぃぃぃぃぃぃ!!」 「親方さまぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」 「板垣いいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」 「うぉぉぉやかとぁさむぁぁぁぁぁぁぁっ!!」 「いいぃぃぃぃたぁぁぁぁぁがぁぁぁぁぁきぃぃぃぃぃ!!」 オチ無し。 PR
civ4がやりたくて、手ごろな値段のグラボとciv4通常版を買ってみました。
……コネクタのサイズが合わないorz どうやらまともなグラボは市販のPCには合わないらしく、PCIなるタイプのものを買わないといけないそうです。ビック○メラの店員さんが教えてくれました。 でも返品はしてくれませんでした。 1万3千円が……。
さて。昨日、何を考えていたのか途中で続くとしてしまいました。
困った事に二日目は殆ど内容がありません。どうしましょう。 ……まあ、なるべく水増しさせておきますね。 朝7時に起床。ここでもオーナーのおいしい朝御飯(コーヒー付き)を頂く事が出来ました。更に麓の駅まで車で送ってくれるとのこと。ありがとう!本当にありがとうオーナー! 徒歩30分以上の道のりを車ですっ飛ばして駅へ。こっからちょっと寄り道をする事になりました。 バスに乗って足尾山へ行きます。明治時代は銅山として国庫を支えていた山ですが、現在は閉鎖され記念館として改造されています。世界遺産に登録されそうにもなっているそうです。 現地に着くと、まずはトロッコで坑内へ。トロッコといってもドンキーコングに出てくるようなあのトロッコではなく、小さい電車が走っているような感じです。 中に入るとそこはまさに鉱山の中。記念館といいましたが、建物があるのではなく坑道をそのまま利用した形になっています。道なりに人形が置かれていて、様々な時代の鉱山の歴史を知る事ができました。 ……いや、正直に言うとそこは良かったんですが、本当にそれだけだったんですよね。薄暗い洞窟の中を通るドキドキ感は楽しめたけど、それ以上に得られるものがあるかというと……。 東照宮と比べるのがいけないんだな、きっと。 その後は最初の駅に戻り、平和に帰って参りました。帰り道にこれでお別れと考えるとちょいとしんみりしてしまって、ガラにもなく将来の夢の話なんかをしてしまいました。何をやってるんだ自分。 これで日光の話は終わりです。演劇部最後の旅行はやっぱり皆大騒ぎで、とても楽しいものでした。 さあ、明後日は弓道部の卒業旅行だ!
昨日チラッと言っていた日光の観光日記。折角なのでここに書いておきます。
高校の演劇部の卒業記念旅行。一泊二日の日光8人旅です。朝から皆テンションが高く、東武日光線に乗るや否や大富豪が始まりました。 ウチの部活の大富豪はかなり大量のルールを搭載しています。8切り・スペ3・ハートの3・クーデター・5飛び・7渡し・10捨て・イレブンバック ……あと他にも色々あったけど忘れました。 大富豪で一喜一憂しているうちに東武日光駅に到着。いきなり目の前に広がる山々。そして大量のスギ花粉。まだ観光名所は何処にも行っていないのにテンションだだ上がりです。 世界遺産に登録された神橋の横を通り、一路東照宮とその付近の寺社へ。途中に南海坊天海さんの銅像がありました。折角なので声をかけておきました。「光秀!光秀じゃないか!」 冗談はさておき、東照宮に到着。拝観料を取られますが、元々金を使う決意をした人間にはどうということはない金額です。部活メンバーの中には小学校の修学旅行で来たという人も多く、昔の思い出を語りながら道端の石ころ一つにさえ盛り上がる事も出来ました。でも白馬がいなかったよ…。 鳴龍、三猿、眠り猫、二荒山神社などを巡ります。そういえば、東照宮の本堂でお賽銭を投げたら弾かれました。……何か悪い事したか、私。 大騒ぎしながら東照宮を後にし、一路一泊6000円のペンションへ。いや、この値段から考えてろくでもない事は覚悟していました。でも駅からタクシーで10分、常に上り坂だったのは参った。歩いて行こうなんて考えるだけ無駄でした。 しかし、到着したら逆の意味で驚きました。山の中に建つ小奇麗なペンション、と行った所ですが部屋は中々広く、何故かパトレイバーや三国志などのマンガ本も揃っています。そして何よりメシが美味い。オーナーお手製の料理らしいですが、あれだけで6000円取れます。いや、本当に。 その後は近くの温泉に入りました。いいですね、温泉。まったり湯に浸かりながら友人と話し込んでいました。でもエロトークは自重して下さい。隣に他の人がいるんですから。 大変だったのは帰り道。電灯も殆ど無い山の中の道を通るのです。しかし幸運な事にその日は満月。更に星明りも綺麗で明るさには困りませんでした。ここでも皆テンションが高く、ゾンビゲーの話で盛り上がったり、単独行動して死亡フラグを立てようとしたり、犬の鳴き声を聞いて「ケルベロスktkr」とか言っていました。…全部バイオハザードネタじゃあないか。 温泉から帰ってきた後は部屋で花粉症と戦いつつ、深夜4時頃までワイワイ遊んでおりました。最初に撃沈したのは私でした。いやー、夜更かしはしんどかった。 ~続く~
旅行から帰ってきました。一度行ったことはあったのですが、日光は凄いですね。東照宮などの純日本的な建築物と、足尾銅山などの近代遺産を一度に楽しめる。
花粉症でなければ最高だったのですが。 さて、旅行のレポは長くなりそうで今日中にはまとまらないので、今日はそんな時の為に取っておいたネタを使います。題して、『突然ルーデルを熱く語る作戦』。 挑戦外伝にて、うp主が世界観の設定を語っていましたが、あの時に『ハンスさん』というキャラがいたのを覚えていらっしゃるでしょうか。グラがセピア色で何しに来たのかさっぱり判らなかったあの人です。あの人について語る事で、ブログの耐久日数を引き伸ばすと言う作戦です。 ではさっそく始めましょう。まずは彼のステータスから。 ハンス・ウルリッヒ・ルーデル(1916年7月2日 - 1982年12月18日) ナチスドイツ空軍(ルフトバッフェ)に9年間(1936-1945)所属。ただし、初めて戦闘に参加したのは1941年。最終階級は大佐。 受賞された勲章で最高位の物は黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字勲章。 <<戦績>> 出撃回数:2530回 被撃墜回数:30回 戦闘による負傷:5回 ソ連軍によってかけられた賞金:10万ルーブル <<戦果>> 戦車:519輌 装甲車・トラック:800台以上 火砲(100mm口径以上):150門以上 装甲列車:4両以上 戦艦・巡洋艦・駆逐艦:各1隻ずつ(ただし、チームの戦績として) 上陸用舟艇:70隻以上 航空機:9機(戦闘機:2機 爆撃機:5機 その他:2機) 分かる人にはこれがどれだけ恐ろしいかわかるのですが、無双のキャラと勘違いされると困るので近代戦争がさっぱり分からない人にも分かるように解説します。 まずおかしいのは出撃回数。初めて戦闘に参加したのが1941年なので終戦までの4年間の間に殆どの出撃を行っていると考えられます。4年=1460日。撃墜されようと怪我しようと一日に2回以上出撃してます。とんでもない体力です。 そして被撃墜数も異常。30回も乗ってる飛行機が落下しているのに平然と戦争やってるのです。そのうち何回かは負傷してもいますが、その負傷の度合いも酷く、『片足が無い』とか『もう片足を打ち抜かれた』とか『医者に見てもらったら絶対安静』の域に達しています。でも片足を飛ばされた時以外は、何事も無くその後出撃。 かかった賞金ですが、現在の日本円に換算すると40万ちょっと。たかが一兵卒にかける賞金としては破格です。そして当時(ソ連黎明期)のルーブルは恐らくもっと高かった事をお忘れなく。 最大の問題である戦車撃破数。519という数字だけ出されてもパッと来ませんが、2位が120輌程度と聞けばその恐ろしさが分かるでしょう。『ルーデルのスコアを1/16すると一般兵のスコアになる』と言われています。その真偽は……いや、言わないでおきましょう。 今日はこの辺で切り上げますが、誤解を招かないように一つ付け加えます。彼はあくまでも爆撃機乗りです。UFOとかスコープドックとかモビルスーツには決して乗っていません。また、乗っていた爆撃機は初戦闘の時から終戦までずっと同じ型のものだったそうです。それも、これといった改造無しで。 |
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1989/07/03
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遂に大学生に。
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自己紹介:
紅茶よりもコーヒーのほうが好きです。というか、どうしても紅茶が飲めません。劉度シリーズでの大当たりに調子に乗ってブログを始めました。更に調子に乗って新作をはじめました。
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